■うれしのについて ■名所案内 ■史跡めぐり
毎年5月2日に献茶式、11月3日に献茶・献湯・献陶祭がおこなわれるなど、地元の人々にはいちばんなじみの深い神社です。
江戸時代に入ると往来も頻繁になり、任務も重要になりました。
記念碑は、当時の門柱で建てられ、碑の周囲が関所の跡地、横に走る坂道が、当時の長崎街道です。
本尊には運慶作とされる薬師如来像が祭られており、旅の必見のひとつです。
約3000坪の広い境内は緑も豊かで、散策にも快適な場所です。
幕末には大改造されましたが、明治4年の廃藩により民間第1号の旅館となり、 門は明元寺の山門として移築されました。
江戸時代多くの旅行者に書き残されているように、この国境に 建てられた両藩の藩境石は街道の名物でした。
不動堂には、藤原時代後期のものと推定される木彫りの不動明王と 2体の童子像が安置されており、国の重要文化財に指定されています。
この地はその折りに幼い子供たちの命を奪った場所で、当時の悲惨な出来事を いまに伝えています。
このほか、追手が血刀を洗った「太刀洗い川」など、いくつもの史跡が残っています。