吉田焼の創業年暦は定かではありませんが、嬉野の陶磁器の歴史を紐とくと、大正5年(1577年)に龍造寺隆信公が大村の有馬氏攻略の際、吉田を流れる羽口川の上流、鳴川谷の川底に白く光る石を発見したそうです。これが我が国初の磁鉱石と言われています。
寛永年間(1624年~44年)藩主鍋島直澄が隠居後、その遺業として吉田山の陶磁器業者を督励しました。享和年間(1801~1804年)に入ると、副島弥右衛門が制限外の窯数を増し、事業を拡張して吉田焼の繁栄を促しました。
しかし、明治維新後は次第に衰微し始めたために、明治13年(1880年)に精成社を創立し、改良を図りました。その後、市場が時代の流れとともに国内向けになり、現在に至っています。
現在も、歴史と伝統を誇りに、肥前吉田焼の窯元は日々の技術の向上に励んでいます。
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