
牛津が生んだ石工『平川与四右衛門』の軌跡
私たちの住んでいる町”うしづ”は、佐賀県のほぼ中央にあり、有明海とそこに注ぎ込む牛津川によって育まれてきました。現在は約1万人が暮らす小さな町ですが、江戸時代には長崎街道沿いの宿場町として栄えたところです。
私たちの町にもこの街道を通じて異国の文化や人やものが数多く流れ込み、商業発展の基礎が作られました。
明治時代になると、商人たちが自由な経済活動を展開し、牛津の町は”西の浪花”といわれるほど活気があり、「牛津、津でもち、駅でもち、町の栄えは店でもつ」ともうたわれました。
当時の代表的な商人が玉屋デパートの創始者、田中丸善蔵です。現在も玉屋」のあったところには、赤レンガ造り倉庫と田中丸い家の住宅が残っており、文化遺産として牛津のシンボルになっています。
また、毎年秋、11月には長崎街道宿場町の様子を再現した「西の浪速の復活祭」が盛大に行われ、町内外の人々で賑わいます。
牛津川から西の砥川地区に目を移すと、のどかな田園と美しい山麓部が広がっています。
江戸時代、この山麓部でも注目すべき活動が行われました。
山から石を掘り出して、さまざまな形に加工して販売する石工たちの集落があったのです。
彼らは「砥川石工」と呼ばれ、佐賀・長崎はもちろんのこと、熊本や有明海沿岸地域一帯で活躍し、その名は広く世の中の人に知られました。
なかでも、「平川与四右衛門」という人は、砥川の石工を代表する名工としてその名を残した人なのです。
平川与四右衛門が作った石仏は、現在、牛津町内には6体が確認されています。
石工たちの住む村となった谷の熊野権現入口に置かれた布袋像、大平山の中ほどにある空山観音堂のそばに安置される三十三観音像のうつ2体、谷公民館そばの千手観音像、与四右衛門の墓がある常福寺の如意輪観音像、そして寺町の永福寺にある地蔵像てす。
それぞれが、非常に表情豊かな石仏で、まるで木で作った仏像を石に再現しているかのようにこまやかな彫刻がしてあります。
また、牛津町教育委員会が行った調査では、与四右衛門が作った石仏は佐賀・長崎・熊本県の3県に分布していることが分かりました。
確認された石仏の数は39体です。そのなかでも、佐賀県鹿島市の幽照寺に安置されている地蔵菩薩像は、保存状態が一番よい作品です。
元禄9年に作られたことが記されています。
今から304年前のものですが、つい最近のものと見間違えるほどです。のみも深くシャープな彫刻は、技術の高さを物語っています。
佐賀県の近世美術工芸分野の歴史を考えるうえで、決して忘れることの出来ない石仏師、平川与四右衛門。
高度な彫刻技術を思いのままに使い、すばらしい石造物を作り出したふるさとの偉大な石工さんが残した足跡をまとめてみました。
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