北波多村教育委員会「北波多村文化財調査報告書」より

出土遺物一覧

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NO1〜NO6   NO7〜NO12

 皿屋窯跡は大字稗田字大杉に所在し、小枝谷を1本隔てた北方には、波多氏の本願地である波多城跡(城域長約700mで戦国期の遺構が良好に残っている)が存在する。

 窯体は北東から南西に延びる低丘陵南東の急斜面に築かれており、
その勾配角は約26度を測り、現在まで確認されている岸岳系古窯跡の内では、
最も急勾配である。今回検出したのは、
焼成室及び焼成室7室(下部3室と上部4室)と奥壁後方の煙出しの空間であり、
そこには幅約20cmの溝がめぐっていた。煙出しの空間は地山を2段に削りだしており、
その最奥部は約1m高さで垂直に立ち上がる。
最上室も地山を掘りこんで床面を整えており、
その側壁には砂岩の割石が積上げられていた。また、その表面にはガラス化した粘土が付着していることから、割石表面に粘土を塗りこめて側壁を構築したことがわかる。

 本窯跡は、焚口から奥壁までは長さ約23.5mを測り、10から11の焼成室を持つ登り窯と推定されるが、その中心線は若干東に湾曲している。
焼成室は階段状に連なり、それぞれの床面は前方に向かって暖く傾斜しており、
薄く砂が敷かれていた。なおその傾斜角は、下の焼成室ほど強い。

 焼成室の寸法は、奥行180〜240cm、幅250〜290cmで、その形は上位の部屋ほど横長から正方形に近くなる。
また焼成室の傾斜は上→下の地に、下から1室目は向かって左→右に、2室目は右→左に、
3室目は左→右に僅かに傾斜していた。出入口については、
下から2室目と最上室においては右側に設けられていることが確認されたが、
その他の焼成室については攪乱を受けていたため不明である。火床鏡は上面から前面にかけて粘土を貼って補強しており、どの焼成室のそれもおおむね良く焼け締っているが、
下部の火床鏡ほど高温を受けてガラス化しており、分焔柱は第2と第3室間に1本残存しているにすぎなかった。焼成室の床面は現表土面より、約2mも下に存在した。
舟底形を呈し良く焼け締っており、攪乱におけるその断面を観察すると、少なくとも4回の補修が想定できる。



出土した遺物は、表採品が大部分であるが、コンテナで約50箱にものぼる。陶器の器種は、碗(1、2)・皿(3、4、5)・中皿・片口碗・小杯(6)・瓶(8)・摺り鉢・鉢・土錘(8)・蓋(8)・ロクロの軸受(7)などである。釉薬は藁灰釉が多く碗・皿類ではほぼ全てが藁灰釉である。土灰釉は瓶などの貯蔵器で使用されるが、藁灰釉の瓶も存在する。絵唐津など文様を施す物は皆無であるが、藁灰釉の口縁に鉄釉を重ね掛けした皮鯨手の皿(3)が存在する。

窯詰めで使用する道具はトチン(11)のみであり、ハマやサヤは使用せず、重ね焼きには釉剥ぎの胎土目積みという特殊な方法を用いている。
この技法は現在のところ、ここ皿屋窯のみに見られる特徴である。
皿内面の高台の当たる部分の釉薬を3箇所四角く剥ぎとり(9の左上)、
ここに直径1cmほどの団子状胎土目を置き(9の左下)、器を重ねて焼いている。重ね焼きは少なくとも3枚以上が観察されている。なお極少量ではあるが、ピン状の胎土目も存在する(9の中央)。
また、碗・皿などの高台畳付部分には、
その多くに回転糸切り離しの痕跡をそのまま残し、
他窯の製品に見られるような削りによる調整は行われていない(10)。


出土遺物一覧
No - 器類 法  量 釉薬 形態・技法の特徴
口径 底径 器高
1
12.2 5.0 6.4 藁灰 畳付糸切痕。口唇鉄。生焼
2
10.6 4.4 6.1 藁灰 口唇鉄。別碗が釉着
3
11.4 4.0 2.0 藁灰 口唇鉄。口唇鉄
4
11.0 4.0 3.2 藁灰 口唇鉄
5
10.1 4.0 4.4 藁灰 皿2枚・胎土目釉着
6
小杯 7.0 4.0 5.0 藁灰 畳付糸切痕。
7
軸受 6.0 4.0 4.3 藁灰 4方指頭押捺。畳付回転削り。
8
5.4 - - 藁灰 口縁ロクロ成形。
5.8 4.0 2.2 土灰 畳付糸切痕。に砂付着。
5.0 3.0 1.7 藁灰 底部糸切痕。生焼。
土錘 - - - 藁灰
9
- - - 藁灰 波縁皿。口唇鉄釉。皿2枚胎土目釉着
10
- - - - 畳付の糸切痕。
11
トチン - - - - トチンと胎土目
12
トチン - - - - 重ね焼き(胎土目積み)模型図。
大橋1995より加筆転載

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