皿屋窯跡は大字稗田字大杉に所在し、小枝谷を1本隔てた北方には、波多氏の本願地である波多城跡(城域長約700mで戦国期の遺構が良好に残っている)が存在する。
窯体は北東から南西に延びる低丘陵南東の急斜面に築かれており、
その勾配角は約26度を測り、現在まで確認されている岸岳系古窯跡の内では、
最も急勾配である。今回検出したのは、
焼成室及び焼成室7室(下部3室と上部4室)と奥壁後方の煙出しの空間であり、
そこには幅約20cmの溝がめぐっていた。煙出しの空間は地山を2段に削りだしており、
その最奥部は約1m高さで垂直に立ち上がる。
最上室も地山を掘りこんで床面を整えており、
その側壁には砂岩の割石が積上げられていた。また、その表面にはガラス化した粘土が付着していることから、割石表面に粘土を塗りこめて側壁を構築したことがわかる。
本窯跡は、焚口から奥壁までは長さ約23.5mを測り、10から11の焼成室を持つ登り窯と推定されるが、その中心線は若干東に湾曲している。
焼成室は階段状に連なり、それぞれの床面は前方に向かって暖く傾斜しており、
薄く砂が敷かれていた。なおその傾斜角は、下の焼成室ほど強い。
焼成室の寸法は、奥行180〜240cm、幅250〜290cmで、その形は上位の部屋ほど横長から正方形に近くなる。
また焼成室の傾斜は上→下の地に、下から1室目は向かって左→右に、2室目は右→左に、
3室目は左→右に僅かに傾斜していた。出入口については、
下から2室目と最上室においては右側に設けられていることが確認されたが、
その他の焼成室については攪乱を受けていたため不明である。火床鏡は上面から前面にかけて粘土を貼って補強しており、どの焼成室のそれもおおむね良く焼け締っているが、
下部の火床鏡ほど高温を受けてガラス化しており、分焔柱は第2と第3室間に1本残存しているにすぎなかった。焼成室の床面は現表土面より、約2mも下に存在した。
舟底形を呈し良く焼け締っており、攪乱におけるその断面を観察すると、少なくとも4回の補修が想定できる。 |